京都府の記念硬貨一覧
地方自治法施行60周年記念貨幣(京都府) 1,000円銀貨幣
発行年 | 平成20(2008)年8月22日 |
図柄(表) | 国宝 源氏物語絵巻 「宿木」 三 |
図柄(裏) | 雪月花 |
素材 | 銀 |
品位(千分中) | 純銀製 |
量目 | 31.1g |
直径 | 40mm |
1000円銀貨幣の表面には、その都道府県を代表する名所や名産品がデザインされています。
京都府のデザインは、国宝である源氏物語絵巻から「宿木」です。
「宿木」は源氏物語の第三部といえる「宇治十帖」の一冊であり、まさに京都を舞台にした物語といえるでしょう。カラーコインで、当時の様子が鮮明に蘇っています。
また、裏面のデザインは日本独自の美しさを示す「雪月花」をイメージした、雪の結晶、三日月、桜の花です。
特に雪の結晶には、硬貨では数少ない潜像加工が施されています。下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がり、偽造防止に役立っています。
なお、この銀貨幣には微細点や側面の斜めギザなど、日本の造幣局が独自に開発した独自の偽造防止技術がふんだんに使用されています。
地方自治法施行60周年記念貨幣(京都府) 500円バイカラー・クラッド貨幣
発行年 | 平成20(2008)年12月10日 |
図柄(表) | 国宝 源氏物語絵巻 「宿木」 二 |
図柄(裏) | 古銭をイメージした「地方自治」 |
素材 | 銅・白銅・ニッケル黄銅 |
品位(千分中) | 銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5% |
量目 | 7.1g |
直径 | 26.5mm
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500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する名所や名産品が、その図案となっています。
京都府の図案は、1000円銀貨幣と同様に源氏物語絵巻の「宿木」です。源氏物語を題材にした絵巻物は数多く存在しますが、そのなかでも最も有名である、名古屋市徳川美術館に所蔵されているものがデザインの原案になっています。
また裏面には、中央に四角い穴が開いた古銭がデザインされています。
これは、古代中国における「天は円形であり、地は四角をしている」という「天円地方」の宇宙観を示します。中華文化圏では建物や装飾などに見られるデザインであり、和同開珎や寛永通宝など、日本の古銭に共通するデザインです。
この四角い穴には潜像加工が施されており、地方自治法施行60周年を記念した「60」の文字と、47都道府県を示す「47」が浮かび上がるようになっています。
1000円記念硬貨・500円記念硬貨の表面 『源氏物語絵巻』
京都府の記念硬貨に共通して使われている「源氏物語絵巻」は、日本最古とも言われる長編小説である「源氏物語」が題材です。
悲劇の皇子である光源氏を主人公にした、この長編恋愛小説は、現代でも日本の文学に大きな影響を与え続けている作品といっても過言ではないでしょう。
この長編小説を書いた紫式部とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。
謎多き女流作家
「紫式部」は本人の官名に由来する通称であり、本名は分かっていません。
もっとも、当時の社会的に本名が分かっている女性の方がレアケースです。基本は、菅原孝標娘や藤原道綱母のように誰かとの関係性で表すか、官名を使うことが一般的でした。
「紫式部」の通称は、後者にあたります。式部は日本の律令制度における八省のひとつであり、文官の人事などを司る役所です。父・藤原為時、兄・藤原惟規が式部の役人を務めていたことに由来するとされています。
しかし、もうひとつの「紫」については、今も詳しい由来が分かっていません。
一説によると「源氏物語」のヒロイン「紫の上」に由来するともされています。しかし、当時の社会的に、そもそも色を冠する呼称自体が珍しい例です。そのなかでも、紫色は染料になる原料を集めることが困難であり、特別な人しか使えない高貴な色とされていました。
そんな色がついた呼称を一役人でしかなかった彼女が、なぜ名乗りに使えたのか。疑問は尽きません。
女官としての紫式部、文化人としての紫式部
紫式部は幼いころから漢文を読みこなしていたなどの才女としての逸話が数多く残っています。
しかし、彼女が歴史の舞台に登場するのは、藤原道長の登場とほぼ同時期です。幼少のころから才覚を発揮していた彼女は、道長の娘である彰子が一条天皇に入内するときに、世話役兼教師役として抜擢されたといいます。
また、近年では道長の妻である源倫子の世話役として活動していたとの記録も見つかっています。いずれにせよ、道長とのつながりを得たことが、彼女の名前を一気に知らしめることにつながりました。
紫式部の作品として、最も有名なのは「源氏物語」であることは間違いありません。しかし、彼女は優れた歌詠み者でもありました。
「小倉百人一首」や「勅撰和歌集」にも自作の歌が選ばれており、自伝でもある「紫式部日記」にも数多くの和歌を書き残しています。
まさに平安時代後期を代表する歌人のひとりといえるでしょう。
ライバル関係の真実
紫式部のライバルとして、よく清少納言の名前が上がります。
確かに、2人の関係者には対立していた人物が数多く存在します。2人がそれぞれ仕えた彰子と定子は、ともに一条天皇の中宮であり、また、彰子と定子の父はそれぞれ藤原道隆と藤原道長です。
道隆と道長の権力闘争に巻き込まれた2人がライバル関係であったというのは、筋が通っていますが、実際はどうだったのでしょうか。
「紫式部日記」は、紫式部と同時期に有名であった世話役たちに対する彼女からの人物評がいくつか残っています。
和泉式部や赤染衛門などに対しては、否定的なことを言いつつも好感を寄せているものの、清少納言に対してだけは「大したことはない」「良いことなどあるはずがない」などと、徹底的にこき下ろしています。
しかしその一方で、清少納言から紫式部に対する人物評は見つかっておらず、どのように思っていたのかは分かっていません。
そもそも2人が宮仕えしていた年代は10年近く異なり直接の面識はなかったとされているため、紫式部から清少納言への一方的な嫉妬だったのかも知れません。
亀岡市の記念メダル『嵯峨野トロッコ鉄道』
亀岡市の記念メダルは、トロッコ亀岡駅とトロッコ嵯峨野駅を結ぶ観光列車の嵯峨野トロッコ鉄道です。
嵯峨野トロッコ列車は、正式名称を嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線といい、日本で初めての観光専用鉄道です。わずか7.3㎞ほどの短い区間でありながら、周辺は保津川を望み、四季折々の風景が楽しめます。
廃線から始まった観光地
平成元(1989年)年3月に、山陰本線の嵯峨野駅と馬堀駅の間が電化と複線化したことで、明治以来使われ続けていた保津川に沿う路線は廃線となりました。
しかし、保津川を臨む沿線の景観は素晴らしく、京都府を中心に地元自治体は、新たな観光地としての期待をかけ、JR西日本に対して復活の要望を強く出し続けていました。
その願いが叶い、同年12月に廃止された路線の活用法を考えるプロジェクトチームがJRに発足します。その後、JR西日本の子会社として、運営母体である嵯峨野観光鉄道が発足、平成3(1991)年に廃線は再び息吹を取り戻します。
廃止された山陰本線の線路を利用する形で始まった観光列車は、当初は年間22万人程度を見込む小規模路線でした。しかし、美しい保津川を観光できる列車は初年度から人気を集め、京都の新しい観光地に数えられるようになりました。
現在でも社員による自然保護活動や、列車内におけるパフォーマンスが人気を呼んでいます。